心で感じる癒しのブログ

自分が経験した鬱病との戦い、心の癒しで克服楽しい未来のために書きました

心に感じる癒し(宗教と私から見る病気(鬱病・パニック障害)への思い)

今日は、子供の頃の話を書きます。

人は、何かにつまずいた時や、悩んでいる時や、苦しい時や、頼み事がある時に手を合わせたり、色々な教えを問うてその場面場面を回避しようと、藁尾もすがる思いで、宗教に接する人が多いと思います。

しかし、私はそうではなく、生まれた時から、祖父や両親のしていた宗教に入って、その宗教の教宣を教科書のように読んでいたのです。生まれた時から、人生は、このようにして生きていくんだと決められて生まれてきたんです。

しかも、祖父も両親もその宗教の上の方の待遇であったために、その宗教の中で、いつもぬるま湯に浸りながら、のうのうと生きてきたのです。

私は、宗教がだめだとは言っていません、しかし、何をしても守られ、いつも、自分の力で切り抜けない自分が今になって、この年になって、自分の弱さに痛感しています。

 

ここからが、今日の本題です。

私の思いは、人は楽な方に動きたがる当たり前なんですが、だから仕事以外にも、ダイエットや、食事による健康つくりにしても、面倒だったり、難しいと中々続きません。それは自分の弱さに比例していると思います。

ストイックな人もいますが、そこなんです。得てしてストイックな人の方が、自分に対して強いものを持っているから、色んな教えや願い事に頼らず、自分中心で事を乗り越えてしまうような気がしてなりません。

要するに、自分を持ってる人は、精神障害にはなりにくいような気がします。

要するに子供のころからの環境やしなければならないと言う教えで人間は、自分自身で病気を作ってしまうような気がします。

逆に言えば、その部分を、自分らしく生きていけば、精神的な病気にはならないんではないかと感じます。少々わがままな位がちょうどいいんじゃないかとも思います。

宗教を否定しているのではありませんが、いつもそれに頼ってしまうと、凄く弱い自分が出来てしまいます。少なくとも、自分はそうでした。その反省を踏まえて、病気は常に自分の心(魂)の中で作られるんではないかと、経験を通じて感じています。

弱さを克服して、病気に対する気持ちが変わり、回復に向かう速度が変わりました。

最後まで読んでいただき有難うございました。