心で感じる癒しのブログ

自分が経験した鬱病との戦い、心の癒しで克服楽しい未来のために書きました

心で感じる癒しのブログ(幼児虐待について)

昨今この題材のニュースが毎日のようにテレビでもネットでも出ていますね、この件は無関心で通り過ぎることがどうしてもできないので、少し私の体験から感想を書いてみます。

私も3人の子供を育ててきました、仕事が忙しく子供のことは家内に任せきりだったんですが、本当に素直な優しい子供たちに育ってくれました、家内のお陰だと今さらながら感謝しています(結婚18年で離婚してます 笑)。

私が思う子育ての一番肝心なことは、子供に対する愛だと思います、当たり前のように聞こえるかもしれませんが。先輩と後輩・上司と部下・先生と生徒・師匠と弟子の関係と何ら変わらず、子供を一人の人間として一緒に育っていくぐらいの気持ちで接しないと中々愛で育られません。

その愛に対する感情は、やはり心のゆとりから生まれるもので、感情の起伏をいつもフラットにすることが一番必要ではないかと思います。

私も若いころは感情の起伏が激しかったので、子供に対して、罵声を浴びせてしまったこともあります(暴力はしていません)。しかし今はかなり後悔しています、自分の感情だけをぶつけていたような。

子供の頃のそういった負の記憶はかなり鮮明におなかの中(魂)に残り、インナーチャイルドとして大人になってから出てきて、同じことを繰り返す恐れもあります。三つ子の魂百までもと言われる通り、子供の頃に入った観念は中々なくなりません。

よって、愛で褒め、愛で叱り、愛で接する。

そうすれば、幼児虐待もいじめも改善していくと私は信じています。

最後に、これは一人一人が、肝に銘じてどんな人間も平等なんだと思う心を育てていって欲しいと私は願ています。私の勝手な意見でした。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

心で感じる癒しのブログ(心の愛について皆さんと語り合いたい)

今日は、心の愛について少し語ります。

その前に、先週の日曜日、厄落としに、伊勢神宮の外宮・内宮にツインと参拝してきました、とにかく凄い人で、今年のお正月より参拝客が来ていたそうです。でも、心は晴れやかで気持ちよかったです。

それでは本題に入ります、愛には、色々ありますが、私が心で感じる愛とは、見返りを求めない愛です、そうかといって、ボランティアではありません、奉仕の心でもありません、何か自分に対して、不条理なことがあっても、それに対して、ねたんだり、恨んだり、ましてや感情的になったりしない、要するに、してやったのにという言葉の出ない愛です。

これはパートナーに対してだけではなく、仕事場の同僚にも、友達にも、全てに対して、この感情が自然に備われば、周りを平等に判断することが出来て、いつも平和な心でいられるんではないかと私は思います。

今の私は、病気を通じ、人生経験を通じ、そして今のパートナーを通じて、この愛に対する自分の気持ちの揺れを感じ取り、一生懸命コントロールできるように、日々努力しています。

しかし、この気持ちは、一人では中々思うようになりません、是非、この思いを共有したい人とたくさんお話させていただき、人生の先輩たちや経験豊富な方たちと、愛の心の輪を広げていきたいです。

旅行や趣味などを通じて、色々勉強をさせてください。

近いうちに、会を立ち上げます、是非参加していただき、大人としての信頼関係を築き、素晴らしい人生を共に送りましょう。

最後まで、読んでいただきありがとうございました。

 

 

心で感じる癒しのブログ(趣味から感じる癒し)

私は、うつ病になってから、仕事も家族もそれこそ趣味も全てを失ってしまいました。その状況から、助けててくれたのが、今いる彼女なんですが、もう一つが釣りとそれを教えてくれたそちらに導いてくれた友達です。

そんなに興味はなく、人と付き合って同じことをしたりもできず、ましてや、外になんか行きたくない、そんな私を、うまく導いてくれて、釣りを教えてくれました。

最初は、何とか吊り上げたいそれだけを考えて、やっていたんですが、自分の中で、釣りをしている間は、何もかも忘れて集中でき、自分がパニック障害で有ることすら、忘れられたんです。

このことは、この病気を良くするために凄く大切なことで、気持ちに負担やその時の感情をかけない、そうすることで、自分自身がニュートラルになれて、落ち着いていくんです。意識の中で、コントロールしては駄目なんです、自然にできるようにならないと、その為には環境を変えることも必要なんです。

今思えば、この環境の変化、たとえ週に一度でも体験できたことが、私の病気に対する特効薬のような気がします。

更に、最近では、その釣りあげた魚を捌いてその日のうちにみんなで食べる。この贅沢な味わいと、喜んでくれる顔、最高の至福のひと時です。

自分で釣りあげた魚を食べる、この喜びや美味しさは他の追随を許しません。

心を癒すとはまさにこのことだと思います、今年も、ワクワクしながら、3月から本格的にスタートします。

日常を変化させて、病気や悩みを自然に感情を入れずに忘れられる環境を作ってみてはどうでしょうか、だんだん周りの景色が変わっていきますよ。(これは私の体験です)

皆さんも心(魂)で感じるワクワクを探してみてください、自分がその気になると、導いてくれるパートナーが現れます、これはとても不思議です(これも私の体験です)

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

心で感じる癒しのブログ(頭の感情を心(魂)で整える)

今日は、感情の赴くままに生活を繰り返していると、何時か、体が精神的に崩れていってしまい、それが、病気の根源を作ってしまった、私の体験を書いてみます。

何だか、分かりずらい表題ですが、実は凄くシンプルで、自分の感情をどの部分でコントロールすれば、いつも、冷静に物事を判断できるのか、チョットしたことで人生が変わっていきます。

私の体験から、精神疾患も感情のコントロールが大切で、この感情の激しい起伏が、鬱やパニック障害を体の中にもたらした原因であることを、今病気が完治して、凄く感じています。(悟ったわけではありません)

人間の感情の中には怒りがあります、そして喜びが、この二つは双璧で、私が思うのは、この感情から起こる、興奮これが一番曲者だと感じています。

私は、人生の中に、癒しとか思いやりとかゆとりと言う言葉がありませんでした、いつも強い刺激や興奮(生きている実感)を求めて生きてきました。いつも出来事に対し一喜一憂して頭では喜んでいたんだと思います自分なりの達成感で、そんな生き方をしていたから、自分自身の心(魂)が自分の体や思いをコントロールできなくなって生きることに対して急ブレーキがかかったのです。(病気の根源)

ここで提案です、まず、自分の目の前に起こったことに対して、今起こっていることは、自分を試されているんだと思ってください、しかもそれは自分が起こしていることだと思ってください、どんなことが起きてもです。それを克服して、自分の目標に到達すると思ってください、

更に、その場面で、解決できないとまた同じことが起こりますから、何が起きてもそこで終わりにしてください。要するに、起こったことを自分なりに解釈しておしまいにすれば、次に進んでいくわけです。

小さのことでいちいちイライラしていたら、その小さなイライラが何度も現れて試されます。

くどいようですが、目の前で起きていることは、自分で作っていることなんです、自分の人生や出来事は人には作れません。

私が病気で教えてもらったことは、それを乗り越えて、性格や、人生をそこから変えたかった、その位の荒療治がなければ自分は変えられなかったんだという事を、思い知らされました。

感情に一喜一憂せず、いつもニュートラル(静かな)な状態で物事を心(魂)で判断し

て、ゆとりのある、生活を楽しんで下さい、きっと、自分の思いが、かなえられると私は信じています。

私もまだまだ、大人として完成はしていませんが、日々努力して毎日を送っております。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

心で感じる癒し(自分を変えることの大切な事)

今日からは、病気を克服して今に至るまでのことを少しづつ書いていきます。

まず、その前に、パニック障害を克服する(自分のポケットからビニール袋を無くす)為に、色々な事をしました、しかし、何をしても、今苦しくなったらどうしようが、頭に出てくるんです。

要するに、一度起こったことが頭に刻まれて、それが、観念になって心にまで宿る。これを消す方法がないのか、これを消さないと一生この病と付き合っていかなくてわならなくなる。

そう思ったときに、自分を変えればいいんだ、しかし、どう変えればいいのか、どうやって変えられるのか。何をすればいいんだと散々悩みました。そんな時に現れたのが今の彼女です(なんとなく引き寄せたように)。

彼女は、ヨガを通じ、自分の生き方の信念を学んでいたんです。その彼女に一冊の本を貸してもらいました(ニール・ドナルド・ウオルシュ著 神との対話)という本でした。

私は、この本を読んで、人生観が変わりました、読んですぐに性格が変わるわけではないのですが、頭で自分自身の感情・理性をコントロールするのでわなく、心(魂)で感情をフラットにする。これも方法の一つだと思い、実践することにしました。

すぐに結果が出るわけもなく、彼女と二人三脚で、スタートして、2か月後に、彼女から、半年もたったら病気は良くなるよと言われたんです。その時の、彼女の何気ない態度は今も忘れられません。そして、半年後に完治していたんです。

今の感じを言葉にすると、病気になる以前の私と、患っていた時の私と、そして今の私は、別の所で暮らしているような気がしてなりません。これは宗教じゃないですよ。

本当にそんな感じがするんです。

何かに引き寄せられるように、彼女が現れ、自分の気持ちが自然に変わっていき、心の拠り所が出来、病気も良くなっていく。人は感情の動物だとよく言われますが。それを理性でコントロールしながら生きていますよね。しかし、その繰り返しをしていると、大変疲れます。挙句に私のように知らないうちに病魔が近づき、侵されていく。

こんな理不尽なことはありません、しかし、自分の生き方を少し変えれば、幸せなことは、周りにどんどん現れてきます、しかも、変な病気にも侵されません。私は病気を通じて、つくづく実感しています。

一番大切なことは、自分を好きになり、心(魂)で感情をフラットにして、自然に生きる事だと思います。私も、まだまだですが、心がけて、精一杯人生を楽しんでいきたいと思っています。

when  everything  changes, change  everything   (変えれば 変わる)

一度騙されたと思って、トライしてみてください

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

心で感じる癒し(病気が生き方に対する心(魂)の拠り所を教えてくれた)

今日は、若いころ企業して、今現在までの、感情の変化を書いてみます。

23歳で起業をして、30歳まではバブルもありましたし、周りの人にも助けられて、順風満帆の人生でした。その時の感情は、何をやってもうまくいく、このままなら、億万長者にでもなれるんではないかという。ばかげた気持ちで、イケイケで、なりふり構わず仕事をしていました。

その時の私の性格は、いつも感情をむき出しにして、喜怒哀楽の起伏が激しく、周りの人は誰も僕の意見に否定をしなかった、いや出来なかったんだと思います。まさしくワンマンな会社です。

子供のころから、何をしても怒られなかった私は、そのまま大人になり、子供を育てる年になっても、私のすることに否定をされることはないんだと、信じ込んで生きてきました。

それから暫くして、バブルが弾け、会社はみるみる、負のスパイラルにはまり、借金が膨らんでいったんです。そんなときも自分しかいない、自分で会社を立て直すんだと、独りよがりな、自分勝手な感情で、仕事を進めていました、俺が俺がの状態です。

今でも、こんな人は、たくさんいると思います。しかし、自分のキャパシティーを超えると、知らないうちに、身体がブレーキをかけるんです。私はそれが、精神疾患でした、38歳の時でした。

それは、いきなりやってきたんです。運転中に周りがグルグル回って、頭がぼーっとして、運転が出来なくなり、急いで車を停めて、携帯で119番しました、今も鮮明に覚えています。もう少し遅ければ大事故だったと思います。

目が覚めたら、病室のベットの上でした。何が何だかこの時は理解できず、自分が自分でないような感じだったことだけは、覚えています。

しかし、ここから、54歳までなんと16年苦しみました。

全て、ここまでの、自分自身の感情と環境が私自身をここまで追い詰めて、この病との戦いをつくったのです。

精神疾患は、心(魂)の病気です。仕事や家庭環境を自分自身でどうコントロールしていくか、そしてどんな状態の時でも、自分の感情を起伏の少ない状態に落ち着かせる事ができるかにかかっていると私はこの病気を経験して思います。

現に今、完治して、一番感じることは、頭で物事を即座に判断しない、今、目の前に起きていることは、何かこの先自分のためになることなんだと気持ちを落ち着かせることが(これは良いことも悪いことも)、この病気を起こさない、いやこの病気を避ける方法の一つだと私は思います。

感情の起伏は、時には必要な時もあります、しかし、それに流されていると、非常に生きにくい世の中になってしまうような気がします、人間は、一番最愛の人と喜び、悲しめば、後は普通で十分じゃないでしょうか。私は、その起伏の激しさから、病気になりました。

この病は現代病だともいわれています、ですからなおさら、自分の個々の気持ちを、そのたびごとに上下させるのではなく、落ち着かせてみてください。きっと良い方向に行くと思います。

皆様の健康をお祈りして、ここで今日は終わります。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

心に感じる癒し(宗教と私から見る病気(鬱病・パニック障害)への思い)

今日は、子供の頃の話を書きます。

人は、何かにつまずいた時や、悩んでいる時や、苦しい時や、頼み事がある時に手を合わせたり、色々な教えを問うてその場面場面を回避しようと、藁尾もすがる思いで、宗教に接する人が多いと思います。

しかし、私はそうではなく、生まれた時から、祖父や両親のしていた宗教に入って、その宗教の教宣を教科書のように読んでいたのです。生まれた時から、人生は、このようにして生きていくんだと決められて生まれてきたんです。

しかも、祖父も両親もその宗教の上の方の待遇であったために、その宗教の中で、いつもぬるま湯に浸りながら、のうのうと生きてきたのです。

私は、宗教がだめだとは言っていません、しかし、何をしても守られ、いつも、自分の力で切り抜けない自分が今になって、この年になって、自分の弱さに痛感しています。

 

ここからが、今日の本題です。

私の思いは、人は楽な方に動きたがる当たり前なんですが、だから仕事以外にも、ダイエットや、食事による健康つくりにしても、面倒だったり、難しいと中々続きません。それは自分の弱さに比例していると思います。

ストイックな人もいますが、そこなんです。得てしてストイックな人の方が、自分に対して強いものを持っているから、色んな教えや願い事に頼らず、自分中心で事を乗り越えてしまうような気がしてなりません。

要するに、自分を持ってる人は、精神障害にはなりにくいような気がします。

要するに子供のころからの環境やしなければならないと言う教えで人間は、自分自身で病気を作ってしまうような気がします。

逆に言えば、その部分を、自分らしく生きていけば、精神的な病気にはならないんではないかと感じます。少々わがままな位がちょうどいいんじゃないかとも思います。

宗教を否定しているのではありませんが、いつもそれに頼ってしまうと、凄く弱い自分が出来てしまいます。少なくとも、自分はそうでした。その反省を踏まえて、病気は常に自分の心(魂)の中で作られるんではないかと、経験を通じて感じています。

弱さを克服して、病気に対する気持ちが変わり、回復に向かう速度が変わりました。

最後まで読んでいただき有難うございました。